2009年05月04日
ただ空があるだけ
肉体から離れて
魂はどこへいくんだろう。
どこへ還るんだろう。
どこに孵るんだろう。
信仰・宗教、また個々の考え方によって色々な説があると思うんですが。
おとといの朝ふいにそんな事が頭をよぎって、
それからずっと考えてました。
それから夜になって
忌野清志郎さんが天に召されたということを知るその時も
もちろん今でも、
そういう力を持っていない私にはその答えなど知る術もありません。
自分の目で見て自分の肌で感じたこと以外では、思いを言葉にすることさえも難しいのです。
だけどいつでも、漠然とですが信じていることがあります。
それは、魂が持つ意思。
魂にはきっと、思いがあると信じています。
たとえ肉体を離れたとしても。
先日行ってきたアメリカ南部巡礼の旅では
メンフィスから車で約2時間、ミシシッピ州の小さな町クラークスデールへも訪問しました。
ブルースの故郷といわれる場所です。
そこへ向かう道のりはとても平坦で、時期的にまだ綿花は咲いていませんでした。
土地は気が遠くなるほど広くて
正午の空はまだ青く、薄い雲が浮かんでました。
町へ入っても歩いている人影はあまりなく、どこか寂しげなクラークスデール。
ブルースアレイストリートに佇む「デルタブルース・ミュージアム」に写真とともに展示されたブルース誕生の歴史によると、15世紀末から19世紀末にかけて起こった奴隷制によってアメリカ南部につれてこられたアフリカの人々が畑での仕事中に歌った労働歌・フィールドハラーとよばれるものにブルースは影響を受けているらしい。
綿花摘みや線路敷設工、堤防工事など、単調で過酷な労働中もその作業のリズムにのせた即興の歌詞で歌を紡いでいたといいます。
他の何もかもを奪ったとしても、彼らの魂に沁みついたリズムと音楽までは誰も引き裂くことができなかった。
彼らにとっては音楽こそが
ツラい日常の中での唯一の光だったに違いない、そう思いました。
そこから生まれたブルースはまさに、魂の音楽。
そう思えてやまない気持ちが込み上げて
胸が締め付けられました。
「BLUES」と英和辞書で調べると、出てくる言葉は「憂鬱・気のふさぎ」。
音楽とは楽しいものじゃなきゃいけない。
その上で楽しませられなきゃ意味がない。
道の途中ふと我に返ると、いつのまにかそれに縛られている私がいます。
だけど苦しくて生きていることを忘れてしまいそうなほど、
どん底でも、つまづいて立ち止まっている間も、どんな時だって、音楽は流れている。
音楽は生き続けている。
ブルースの歴史に触れて、これまでの自分への嫌悪感と情けなさ、
じゃあどうしたら…!という気持ちの焦りと揺れ、
でもその一方で、大丈夫。って信じ続けている私。
色んな私が私自身に襲いかかってきて、
クラークスデールの真ん中でまさにBLUESに陥った私でした。(笑)
でも悲しみや孤独や苦しみや、数々のBLUESが吐き出した音楽が
今でもこうして多くの人々の心を抱きしめ、癒している。
苦しみの底から光を求めてさまよう魂。
その魂からどうしようもなく溢れ出てきた音楽が
時代を越えて、いつまでも誰かの支えや原動力になっている。
この紛れもない真実に救われもしました。
音楽は今も流れ続けている。
魂から生まれた音楽は、今も生き続けている。
清志郎さんの音楽もまさに、「魂の音楽」でした。
男と女、愛と平和、
嘘と真実、憂鬱と喜び。
清志郎さんの歌はまさに、「魂の叫び」でした。
ソウルでありブルースであり、ロックンロールであり、
最高のラヴソングでした。
あの小さな町で生まれた音楽のように、
ピュアでシンプルでエネルギッシュな彼の魂は
きっといつまでも歌い続けるだろう!
雨や雪や太陽の光みたいに
その歌は、あの空から降り注ぐたびにいつでも
清志郎さんを愛する人々の心を抱きしめて、たくさんの勇気と大きくてあたたかな愛を届けてくれるに違いない。
オーティス・レディングやジョン・レノン、ジェームス・ブラウンや
素晴らしい音楽を世に残していった人々のように、
清志郎さんの魂もきっと音楽の神様になっていつまでも夢を与え続けてくれるでしょう!
大切なのは、やり続けること。
これが私の音楽だ!って声をはり上げて歌うこと。
これがおいらの魂だ!って全身全霊で伝えること。
最後の最期に、ありがとう!愛してます!って思い合えること。
清志郎さんの歌と音楽に教えてもらいました。
夢を持つこと!愛する心!祈り!
町を出る頃にはクラークスデイルの空は雲に覆われて
景色も薄暗いグレーに変わっていました。
それによって何だかアンニュイな雰囲気に磨きがかかったように見えましたが、
そこにある木々と畑の緑や、道路や建物はさっきと変わらずそこにあるだけでした。
ジョンレノンの「IMAGINE」を、清志郎さんは日本語詞でこう歌っていました。
“天国はない ただ空があるだけ”
肉体を離れて、魂はきっと旅に出るんだ。
なんだかそう思えてきます。
次の目的地に向かって、次の夢に向かって。
広く、温かな心で
信じれば、信じ続けれは、きっと思いは届く!
“夢かもしれない でもその夢を見てるのは
君ひとりじゃない
仲間がいるのさ。”
たくさんの夢と勇気をありがとう!
忌野清志郎さんの魂
そして、世界中を旅する音楽の神様の魂に
心からの愛と感謝を捧げます。
魂はどこへいくんだろう。
どこへ還るんだろう。
どこに孵るんだろう。
信仰・宗教、また個々の考え方によって色々な説があると思うんですが。
おとといの朝ふいにそんな事が頭をよぎって、
それからずっと考えてました。
それから夜になって
忌野清志郎さんが天に召されたということを知るその時も
もちろん今でも、
そういう力を持っていない私にはその答えなど知る術もありません。
自分の目で見て自分の肌で感じたこと以外では、思いを言葉にすることさえも難しいのです。
だけどいつでも、漠然とですが信じていることがあります。
それは、魂が持つ意思。
魂にはきっと、思いがあると信じています。
たとえ肉体を離れたとしても。
先日行ってきたアメリカ南部巡礼の旅では
メンフィスから車で約2時間、ミシシッピ州の小さな町クラークスデールへも訪問しました。
ブルースの故郷といわれる場所です。
そこへ向かう道のりはとても平坦で、時期的にまだ綿花は咲いていませんでした。
土地は気が遠くなるほど広くて
正午の空はまだ青く、薄い雲が浮かんでました。
町へ入っても歩いている人影はあまりなく、どこか寂しげなクラークスデール。
ブルースアレイストリートに佇む「デルタブルース・ミュージアム」に写真とともに展示されたブルース誕生の歴史によると、15世紀末から19世紀末にかけて起こった奴隷制によってアメリカ南部につれてこられたアフリカの人々が畑での仕事中に歌った労働歌・フィールドハラーとよばれるものにブルースは影響を受けているらしい。
綿花摘みや線路敷設工、堤防工事など、単調で過酷な労働中もその作業のリズムにのせた即興の歌詞で歌を紡いでいたといいます。
他の何もかもを奪ったとしても、彼らの魂に沁みついたリズムと音楽までは誰も引き裂くことができなかった。
彼らにとっては音楽こそが
ツラい日常の中での唯一の光だったに違いない、そう思いました。
そこから生まれたブルースはまさに、魂の音楽。
そう思えてやまない気持ちが込み上げて
胸が締め付けられました。
「BLUES」と英和辞書で調べると、出てくる言葉は「憂鬱・気のふさぎ」。
音楽とは楽しいものじゃなきゃいけない。
その上で楽しませられなきゃ意味がない。
道の途中ふと我に返ると、いつのまにかそれに縛られている私がいます。
だけど苦しくて生きていることを忘れてしまいそうなほど、
どん底でも、つまづいて立ち止まっている間も、どんな時だって、音楽は流れている。
音楽は生き続けている。
ブルースの歴史に触れて、これまでの自分への嫌悪感と情けなさ、
じゃあどうしたら…!という気持ちの焦りと揺れ、
でもその一方で、大丈夫。って信じ続けている私。
色んな私が私自身に襲いかかってきて、
クラークスデールの真ん中でまさにBLUESに陥った私でした。(笑)
でも悲しみや孤独や苦しみや、数々のBLUESが吐き出した音楽が
今でもこうして多くの人々の心を抱きしめ、癒している。
苦しみの底から光を求めてさまよう魂。
その魂からどうしようもなく溢れ出てきた音楽が
時代を越えて、いつまでも誰かの支えや原動力になっている。
この紛れもない真実に救われもしました。
音楽は今も流れ続けている。
魂から生まれた音楽は、今も生き続けている。
清志郎さんの音楽もまさに、「魂の音楽」でした。
男と女、愛と平和、
嘘と真実、憂鬱と喜び。
清志郎さんの歌はまさに、「魂の叫び」でした。
ソウルでありブルースであり、ロックンロールであり、
最高のラヴソングでした。
あの小さな町で生まれた音楽のように、
ピュアでシンプルでエネルギッシュな彼の魂は
きっといつまでも歌い続けるだろう!
雨や雪や太陽の光みたいに
その歌は、あの空から降り注ぐたびにいつでも
清志郎さんを愛する人々の心を抱きしめて、たくさんの勇気と大きくてあたたかな愛を届けてくれるに違いない。
オーティス・レディングやジョン・レノン、ジェームス・ブラウンや
素晴らしい音楽を世に残していった人々のように、
清志郎さんの魂もきっと音楽の神様になっていつまでも夢を与え続けてくれるでしょう!
大切なのは、やり続けること。
これが私の音楽だ!って声をはり上げて歌うこと。
これがおいらの魂だ!って全身全霊で伝えること。
最後の最期に、ありがとう!愛してます!って思い合えること。
清志郎さんの歌と音楽に教えてもらいました。
夢を持つこと!愛する心!祈り!
町を出る頃にはクラークスデイルの空は雲に覆われて
景色も薄暗いグレーに変わっていました。
それによって何だかアンニュイな雰囲気に磨きがかかったように見えましたが、
そこにある木々と畑の緑や、道路や建物はさっきと変わらずそこにあるだけでした。
ジョンレノンの「IMAGINE」を、清志郎さんは日本語詞でこう歌っていました。
“天国はない ただ空があるだけ”
肉体を離れて、魂はきっと旅に出るんだ。
なんだかそう思えてきます。
次の目的地に向かって、次の夢に向かって。
広く、温かな心で
信じれば、信じ続けれは、きっと思いは届く!
“夢かもしれない でもその夢を見てるのは
君ひとりじゃない
仲間がいるのさ。”
たくさんの夢と勇気をありがとう!
忌野清志郎さんの魂
そして、世界中を旅する音楽の神様の魂に
心からの愛と感謝を捧げます。
Posted by 多和田えみ at 19:41│Comments(7)
│日記
この記事へのコメント
『生きている音楽』に魂が宿っているはずですよね☆
だから音楽を聴くと嬉しかったり、涙が出るんじゃないですか?
だから音楽を聴くと嬉しかったり、涙が出るんじゃないですか?
Posted by うえちゃん at 2009年05月04日 19:48
えみちゃん!寂しくなりましたね、いのちには限りがあるから、尊いのです、長生きや、健康が幸せでわなく、この世界で出会えたことが、幸せなんですね!死が不幸と言うなら、生まれた事が、不幸の始まりになります。違うでしょ!生まれてこれた事、良き人と出会えたことは、幸せな事なのです。
Posted by narey at 2009年05月05日 02:53
上手く、言えないけど、全て、ただ、「在る」事じたい、奇跡なのでわないでしょうか?
Posted by 風雷坊 at 2009年05月05日 05:27
自然に自由な裸の心にみんなは、ひかれ、思い、考え自分自身の世界をつくり生きていると思う。それが、良い道でも悪い道でも・・・
このブログを見てるみんなも、えみちゃんの心にひかれ日々生きている。
このブログを見てるみんなも、えみちゃんの心にひかれ日々生きている。
Posted by 軽トラ小僧 at 2009年05月05日 16:43
「Sweet Soul Music」、聴きました、忌野清志郎さんの方の。
それから「ヒッピーに捧ぐ」と「雨上がりの夜空に」も。
あたしは忌野さんの音楽に触れる機会は少なかったけど、今回改めて聴いてみて、「温かい魂の叫び」を感じました。
音楽のジャンルを超えて「愛のある魂の音楽」のすべてが「Sweet Soul Music」
今回、えみちゃんの言う「Sweet Soul Music」の意味がまたひとつ分かった気がしたよ。
それから「ヒッピーに捧ぐ」と「雨上がりの夜空に」も。
あたしは忌野さんの音楽に触れる機会は少なかったけど、今回改めて聴いてみて、「温かい魂の叫び」を感じました。
音楽のジャンルを超えて「愛のある魂の音楽」のすべてが「Sweet Soul Music」
今回、えみちゃんの言う「Sweet Soul Music」の意味がまたひとつ分かった気がしたよ。
Posted by KOH at 2009年05月05日 16:59
『魂の音楽』。
そこまで言えるまでにたくさんのことがあったでしょうね。
そう簡単には表現出来ないと思いますよね。
清志郎さんの音楽は、
心から何かを伝えようと一生懸命でした。
ちゃんと伝わってたんですね。
そこまで言えるまでにたくさんのことがあったでしょうね。
そう簡単には表現出来ないと思いますよね。
清志郎さんの音楽は、
心から何かを伝えようと一生懸命でした。
ちゃんと伝わってたんですね。
Posted by MITURU at 2009年05月06日 03:30
お隣だった者です(∩∩)
気になってHP見ちゃいました☆
素敵な歌を歌われてる方だったんですねぇ~
声掛ければよかったです・・・
って迷惑ですよね笑
私は名古屋なんですが、名古屋に来たときにはぜひライヴ行ってみたいです♪
気になってHP見ちゃいました☆
素敵な歌を歌われてる方だったんですねぇ~
声掛ければよかったです・・・
って迷惑ですよね笑
私は名古屋なんですが、名古屋に来たときにはぜひライヴ行ってみたいです♪
Posted by 飛行機で at 2009年05月07日 16:54